ヨモギと出会う - part 1
- 4月5日
- 読了時間: 5分
ヨモギに呼ばれたのが、すべての始まりでした。
今でこそ自然農を実践しながらハーブを育てている庭がありますが、この土地に引っ越してきた当初、この家には庭と呼べるスペースはありませんでした。
この辺りは、鹿と同居していると言っても過言ではないほど鹿が多く暮らしています。そのため、越してきてすぐの2022年の秋、まずは庭に柵を立て、ガーデンスペースを設けることから始めました。
まだ何もない庭に、しんしんと雪が降り積もるのを眺めながら迎えた、この家での初めての冬。
どんな植物を庭に迎えようかと、ワクワクしながら想像を膨らませていたことを、今でもよく覚えています。

その頃から、私はなぜか「ヨモギを植えよう」と思っていました。
小さい頃からヨモギ餅は苦手で、ヨモギ自体もほとんど口にしたことがなく、
これといったヨモギにまつわる思い出もなかった私が、
どうして「ヨモギ」を植えようと強く思ったのか、自分でもよく分かっていませんでした。
カナダでハーブの勉強をし、西洋ハーブを中心に勉強した私が、
ヨモギを育てることで、ハーブの世界の中にある自分のルーツへとつながろうとしたのか。
あるいは、日本人ハーバリストとして活動することが、このカナダの田舎町での自分の個性になると感じていたのか——。
けれど、人はときに、頭や論理では説明できない衝動に突き動かされるものだと思います。
そして私はのちに、自分自身の体験を通して、なぜあのときヨモギに「呼ばれた」のかを、少しずつ実感していくことになりました。
翌年の2024年、
大切な人の死と向き合う過程での強い哀しみからか、私はひどい湿疹に悩まされ、
体だけでなく心も大きく揺さぶられる日々を過ごしました。
食べるもの、行動、呼吸、思考…体全体が私の内面の波を映し出しているような毎日でした。
ただ痛々しく悪化していく皮膚を見ては、この日々に終わりが来ないのではと思う恐怖と、
ただれた皮膚の痛みで、皮膚を出すことはおろか、人に会うことさえ嫌になっていました。
それでも、自然が与えてくれる些細で、何げない瞬間が、 私の中の希望をつないでくれました。
深い緑の森を歩くこと、
散歩中に子供たちとキノコを見つけること、
そして庭に種をまくこと——そうすることで、土の中に、そして心の奥に静かに種を蒔いているのだと自分に言い聞かせていました。
植物には、不思議な力があります。
それは「人をなおす」ためのものではなく、ただ与え続ける力。
私がどんな状況にいようと、
どんなに心が閉ざされていようと、
ただそこに在ることを通して、「私もここにいていいんだ」と思わせてくれる——。
私は、彼らの存在感を生活の中で実感するほどに、
その力を信頼するようになりました。
2025年の春、私はついにヨモギの種をまきました。
芽が土から顔を出す頃から、私はヨモギと時間を共にし、
葉に触れ、声をかけ、庭への引っ越しを見届け、収穫までぐんぐん力強く育っていく姿を、
本当に愛おしいと思いながら見守っていました。
季節が移ろうにつれ、ヨモギの存在は確かに変化していることに気づきました。
太陽の下で、月の光の下で、季節ごとに異なる表情を見せるヨモギ。
まるでずっと、私が植物との道を歩き始めるのを待っていたかのようでした。
ヨモギは、とても長い間、この地球で生きてきたような落ち着き、
豊かで、揺るぎない力を持っていました。
そして、ヨモギの成長をそばで感じながら私は、
私が体験した深い喪失感と悲しみ、心身の揺らぎを、ヨモギがただ静かに受け止めてくれているような氣がしていました。
そして、その頃から私は、湿疹を通して自分の体と向きあうべく、
肝臓のケアを意識し始めました。
ハーブの伝統、特に東洋の考え方では、肝臓は単なる解毒の器官ではなく、
「見る力」——物事をどう捉え、どこへ進むかというビジョンと深く結びついているとされています。
体の内側に溜まっていたものを少しずつ整えていく中で、
私の中で何かが静かに変わり始めました。
すべてが一度に見えるようになったわけでもなければ、
波がなかったわけでもないけれど、
確実に、少しずつ、
また「見える」感覚が戻ってきたのです。
ヨモギの与える力は、木蓮のように、やさしく大らかに包み込むものとは少し違い、
それは、「私がすでに持っているもの」を信頼し、歩み続けることを促すような力でした。
この年、ヨモギと共に歩み出す前に、私は他の植物たち——マグノリアやタンポポ——との出会いを通して、
「私は大いなる存在に抱かれている」という感覚を深く体験し、
その出会い直しをきっかけに、私はもう「自分とは何か」を外側に探す必要はないと思うことができ、
ただ自分が生き、経験してきたことから、創造していくことの楽しさと自由さを知っていきました。
それが、私の今の活動の原点とも言えると思います。
振り返ると、ヨモギは私に「ビジョンを与えた」のではなく、
私自身が戻るべき場所へと還っていく手助けをしてくれたのです。
ただ静かに私の歩みを見つめ、こっちだよと呼びかけるように、
私が本当の自分の夢に再び出会える道を、静かに、そして根気強く開いてくれたのです。
でもその道は、自分自身で戻っていかなければならないものでした。
自分の足で歩いていくしかない道。
そしてきっとそれは、思い出せないほどずっと前から、歩き続けてきた道なのだと思います。
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A piece of poetry came through me in a moment of quiet revelation with Yomogi.
If you feel called, you can read it here 👉 [Meeting Yomogi (Japanese Mugwort) - part 2]
この出会いから生まれたお茶がこちらです 👉 [Seasonal Blend: Memory of the Dream (夢の記憶)]














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